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【宣言】この腐った時代に、なぜ俺たちは今、「長渕剛」を叫ぶのか。
〜ブログ『今日の長渕語録』開設にあたって〜
序章:生ぬるい「今」への苛立ち
おい、聞こえているか?
スマホの画面越しに、この文字を追っているあんたに聞いているんだ。
あんたは今、生きているか?
いや、心臓が動いているとか、呼吸をしているとか、そんな生物学的な話をしているんじゃない。
「明日、死んでも後悔しねえ」と言えるほど、今日という一日を燃やしたか? という問いだ。
俺は正直、今の世の中が息苦しくて仕方がない。 誰もが誰かの顔色を窺い、SNSでは綺麗な言葉だけが並び、本音は「鍵垢」の裏側に隠される。失敗しないように、傷つかないように、波風を立てないように……そうやってスマートに生きることが「正解」だとされる時代だ。
だが、どうだ? そんな無菌室みたいな世界で生きていて、あんたの魂は震えているか?
心の奥底で、何かが冷たく固まっていくのを感じていないか?
俺たちが若かった頃、そこにはいつも「長渕剛」がいた。
カーステレオからは、あのしゃがれた声と、弦がちぎれんばかりのアコースティックギターの音が鳴り響いていた。俺たちは彼の歌を聴き、拳を握りしめ、涙を流し、そして「クソッタレ!」と叫んで明日への活力を得ていた。
時代は変わった。昭和が終わり、平成が過ぎ去り、令和になった。 俺たちも歳を取った。白髪も増えたし、腹も出たかもしれない。守るべきものが増え、社会の歯車として頭を下げることにも慣れちまったかもしれない。
だが、俺たちの心の奥底にある「導火線」は、まだ湿っちゃいないはずだ。
このブログ『今日の長渕語録』は、ただの懐古趣味の場所じゃない。
日々の生活の中で、埃をかぶりかけている俺たちの「野生」を、もう一度叩き起こすための場所だ。長渕剛という、日本が生んだ稀代の表現者が吐き出してきた「言葉(語録)」を燃料にして、俺たちの魂に再び火をつける。そのための「炉」なんだよ。
第一章:長渕剛という「矛盾」と「真実」の男
俺が長渕剛という男を追いかけ始めて、もう何十年になるだろう。
あいつ(畏敬の念を込めてこう呼ばせてくれ)は、最初から「強かった」わけじゃない。
デビュー当時のあいつを覚えているか? 痩せっぽちで、長髪で、女の腐ったような……なんて自嘲していたけれど、その歌声は透き通るように美しく、そして痛々しいほど繊細だった。『順子』や『祈り』を歌っていた頃の彼は、傷つきやすい硝子のようだった。
だが、彼は変わった。いや、変わり続けた。 80年代、ドラマ『家族ゲーム』や『親子ゲーム』で見せた、不器用だが温かい兄貴分としての顔。 そして『とんぼ』で体現した、都会の孤独と仁義を貫く男の美学。 90年代に入り、アルバム『JEEP』で見せつけた、鋼のような肉体と攻撃的な精神性。
「長渕は変わってしまった」と離れていった連中もいた。
だが、俺は断言する。長渕剛は、一度たりとも嘘をついていない。
彼はいつだって、その時々の自分の「弱さ」と正面から向き合い、それを克服するために藻掻(もが)き苦しんできた男だ。 体が細いのがコンプレックスなら、死ぬ気でバーベルを上げて肉体を変える。 都会の冷たさに負けそうなら、誰よりも大きな声で「バカヤロー!」と叫んで自分を鼓舞する。
彼の強さは、最初から持っていたものじゃない。
己の弱さを認め、それをねじ伏せる過程で手に入れた「獲得された強さ」なんだ。
だからこそ、彼の言葉には「痛み」が伴う。 上っ面の綺麗事じゃない。安全地帯から高説を垂れるコメンテーターの言葉とも違う。 泥水をすすり、裏切りに遭い、孤独に震え、それでも這い上がってきた男の口から出る言葉だからこそ、俺たちの胸のど真ん中に突き刺さるんだ。
彼は矛盾している。 「愛」を叫んだ次の瞬間に「怒り」を爆発させる。 「死にたい」と嘆いた舌の根も乾かぬうちに「生きろ」と絶叫する。 だが、人間なんてそんなもんじゃないか? 俺たちの中にも、天使と悪魔が同居している。矛盾こそが人間臭さであり、長渕剛はその矛盾を隠そうともせず、全てをさらけ出して表現に変えてきた。
その姿は、あまりにも不器用で、滑稽で、そしてどうしようもなくカッコいいんだ。
第二章:なぜ今、「語録」なのか
「歌」は音楽だ。メロディがあり、リズムがある。
だが、長渕剛の真骨頂は、その音楽の枠組みさえも破壊して飛び出してくる「言葉」にある。
ライブに行ったことがある奴なら分かるだろう。 曲の合間、静寂の中で彼が語り始めるMC。あるいは、歌っている最中にメロディを捨てて叫ぶ、あの魂の独白。 あれはもう、歌詞じゃない。
「言霊(ことだま)」だ。
- 「やるなら今しかねえ」
- 「幸せになろうよ」
- 「死ぬまで一生、愛されてえと思ってんだよ」
- 「騙されねえぞ、テレビになんか」
これらの言葉は、短いフレーズの中に、人生の真理と、生き抜くための覚悟が凝縮されている。
俺はこれを「長渕語録」と呼ぶ。
今の時代、情報が多すぎる。 ネットを開けば、誰かの成功自慢や、誰かの揚げ足取りばかり。そんなノイズにまみれて、俺たちは自分自身の声さえ聞こえなくなっている。
だからこそ、必要なんだ。 余計な装飾を削ぎ落とし、本質だけを突きつけてくる、剛のアニキの言葉が。 それは、複雑に絡まった俺たちの思考を、日本刀のように一刀両断してくれる。
「御託はいい。やるのか、やらねえのか。どっちなんだ?」
そう問われた時、俺たちは言い訳を用意できない。ただ、自分の腹の底と向き合うしかなくなる。 このブログで俺がやりたいのは、毎日一つ、この「劇薬」をあんたに処方することだ。 副作用はあるぜ。心拍数が上がり、じっとしていられなくなるかもしれない。急に涙が溢れてくるかもしれない。 だが、それこそが「生きている」という実感なんじゃないか?
第三章:伝説の「桜島」を超えて、まだ見ぬ明日へ
2004年、桜島オールナイトコンサート。 7万5千人が集まり、朝日を引きずり出したあの伝説の夜。俺の心もあそこにいた。 火山灰にまみれ、叫び続け、朝日が昇った瞬間に見たあの光景は、一生忘れない。
あの時、俺たちは思った。「ここが頂点だ」と。 だが、長渕剛はそこで終わらなかった。 富士山麓での10万人ライブ、東日本大震災後の復興支援、そしてコロナ禍での闘い。 彼は60歳を超えてなお、肉体を鍛え続け、新しいサウンドに挑戦し、現役のトップランナーとして走り続けている。
「昔は良かった」なんて、口が裂けても言うまい。 今の長渕剛が、一番カッコいい。俺は本気でそう思っている。 老いを受け入れながら、それでも抗い、枯れることなく吠え続けるその姿は、これから老いを迎える俺たちにとって、唯一無二の希望の光だ。
俺たちも、負けていられないだろう? 「もう歳だから」「時代が違うから」なんて言い訳をして、思い出話だけで酒を飲んでいる場合じゃない。
剛が走っているなら、俺たちも走るんだ。 スピードは落ちたかもしれない。息切れもするかもしれない。 それでも、地面を蹴って前に進むことはできる。
このブログは、長渕剛の過去の偉業を称えるだけの博物館にするつもりはない。 過去の語録を引用はするが、それはあくまで「今日を生きるための武器」としてだ。
結び:同志たちへの約束
これから俺は、毎日(できるだけ毎日だ、俺も完璧じゃないからな)、長渕剛の魂の言葉を、俺なりの解釈と熱量で解説していく。
ある日は、心を優しく包み込む「愛」の言葉を。 ある日は、腐った性根を叩き直す「怒り」の言葉を。 そしてある日は、絶望の淵から這い上がるための「祈り」の言葉を。
もし、あんたが今、人生の岐路に立っているなら。 もし、誰にも言えない孤独を抱えているなら。 あるいは、理不尽な上司や社会に腹が立って眠れない夜があるなら。
ここに来てくれ。 ここには、あんたと同じ痛みを知る仲間がいる。 そして、あんたの背中を全力で押してくれる、長渕剛という男の言葉がある。
俺たちは一人じゃない。
『STAY DREAM』。
夢をあきらめないでくれ。
『乾杯』。
喜びも悲しみも、全てを噛み締めて生きていこう。
さあ、準備はいいか?
俺たちの長い旅は、まだ終わっちゃいない。
むしろ、ここからが本当の勝負だ。
「やるなら今しかねえ!」
今日という一日を、骨の髄までしゃぶり尽くそうぜ。
ついて来いよ!



