長渕語録
今日の長渕語録
楽曲『Myself』より
📝【特集】要領よく生きるな、愚直に生きろ。長渕剛『Myself』が現代人に突きつける、涙と夕焼けの「幸福論」。
序章:1990年、狂乱の果ての「静寂」
1990年。
この年が日本の音楽シーン、いや、日本の若者たちにとってどういう年だったか、覚えているか?
バブル経済の絶頂と崩壊が交錯し、世の中は金と欲望、そして虚栄心で膨れ上がっていた。
誰もが「よりリッチに」「よりスマートに」生きることを競い合い、着飾ることに必死だった時代だ。
そんな中、長渕剛という男は、まったく逆の方向へハンドルを切った。
前年までのアルバム『昭和』や『LICENSE』で見せた、緻密に計算されたバンドサウンドや、スタジアムを揺らす派手な演出。それら全てを、彼は自らの手で削ぎ落としたんだ。
そして生まれたのが、アルバム『JEEP』だ。
裸のアコースティックギター、咽(むせ)び泣くハーモニカ、そして飾り気のない言葉。
彼は華やかなステージ衣装を脱ぎ捨て、泥だらけのジープに乗り込み、荒野へと旅に出た。
その旅の終着点、アルバムのラストに置かれた曲こそが『Myself』だ。
これは単なる楽曲じゃない。
狂乱の時代に対する、静かなる、しかし強烈な「アンチテーゼ(反逆)」だったんだ。
第1章:「真っ直ぐ」という名の茨(いばら)の道
「真っ直ぐに生きて ただ 真っ直ぐに生きて」
この言葉を聞いて、「なんだ、綺麗事か」と鼻で笑う奴がいるかもしれない。
「真っ直ぐ生きるなんて、ガキの使いじゃないんだから」と。
だが、俺は断言する。
大人になればなるほど、社会の仕組みを知れば知るほど、「真っ直ぐ生きる」ことほど難しく、恐ろしいことはないと。
会社組織に入れば、「本音と建前」を使い分けることを強要される。
理不尽な命令にも「YES」と言わなければ、生き残れない。
自分の心を殺し、長いものに巻かれ、うまく立ち回ることを「大人になる」と呼ぶ世界だ。
そんな世界で「真っ直ぐ生きる」ということは、どういうことか?
それは、「自分自身に嘘をつかない」ということだ。
嫌なことは嫌だと言う。
間違っていることは間違っていると叫ぶ。
大勢が右に行っても、自分の魂が左だと叫んでいれば、一人でも左に行く。
そんな生き方をすれば、どうなる?
当然、衝突する。叩かれる。排除される。
「あいつは扱いにくい」「空気が読めない」「不器用な奴だ」とレッテルを貼られる。
出世コースからは外れ、損ばかりする人生になるだろう。
剛のアニキは、それを百も承知で歌っているんだ。
「楽な道を選ぶな」と。
「舗装された道路をスポーツカーで走るんじゃねえ。
道なき道を、泥だらけのジープで走れ」と。
なぜなら、その傷だらけの道にしか、本当の「自分(Myself)」は落ちていないからだ。
第2章:傷つくこと、それは「生きている」証
今の時代、「傷つかないこと」が最優先されている。
失敗しないように、恥をかかないように、みんな予防線を張って生きている。
コスパ、タイパ、リスク回避。
スマートに生きることが正解だと信じ込まされている。
だが、長渕剛は問う。
「傷つかない人生に、何の価値があるんだ?」と。
『Myself』の歌詞全体に流れるのは、都会の片隅で膝を抱えるような孤独感だ。
だが、その孤独は、何もしないで部屋に引きこもっている奴の孤独とは違う。
自分の信じる道を突き進み、壁にぶち当たり、血を流した男だけが感じる、「戦士の休息」としての孤独だ。
真っ直ぐ生きて、裏切られたなら、それはお前が人を信じた証拠だ。
真っ直ぐ生きて、失敗したなら、それはお前が挑戦した証拠だ。
傷跡は、恥ずべきものじゃない。
それは、お前が自分の人生から逃げずに、正面からぶつかったという「勲章」なんだよ。 剛の歌声は、そうやってボロボロになった俺たちの傷口を、荒っぽいけど温かい手で撫でてくれる。
「痛えか? でも、それが生きてるってことだろ?」ってな。
第3章:「滲んだ夕焼け」が見えるか?
そして、この語録のクライマックス。
俺たちが涙なしには語れない一節。
「夕焼けが 滲(にじ)んで見えりゃ それでいい」
なぜ、夕焼けは滲んでいるのか?
言うまでもなく、涙で溢れているからだ。
だが、勘違いするな。
これは「悲劇のヒロインの涙」でもなければ、「敗北者の悔し涙」でもない。
これは、「やりきった男の聖なる涙」だ。
想像してみてくれ。
朝から晩まで、自分の心に嘘をつかず、泥臭く戦い抜いた一日の終わり。
ふと河川敷や、ビルの隙間から見える夕日を見上げた瞬間。
全身の力が抜け、張り詰めていた糸が切れ、熱いものが込み上げてくる。
「ああ、俺は今日も、俺であることを辞めなかった」
「辛かったけど、俺は魂を売らなかった」
その瞬間の充実感。
その瞬間の、自分自身への愛おしさ。
それさえあれば、他人の評価も、金の有無も、世間の評判も、すべてどうでもよくなる。
「それでいい」という言葉の重みを感じてくれ。
「それがいい」じゃない。「それでいい」んだ。
多くを望むな。結果を求めるな。
ただ、夕焼けが美しく滲んで見えるくらいの「生き様」があれば、人生はそれだけで大成功なんだと、剛は断言しているんだ。
第4章:現代の病巣「承認欲求」への特効薬
令和の今、この言葉はさらに重要度を増している。
なぜなら、現代人は「他人の目」という病に侵されているからだ。
SNSを開けば、誰かが煌びやかな生活を自慢している。
「いいね」の数で価値が決まり、フォロワーの数で人間性が測られる。
みんな、スマホの画面越しの「誰か」に認められたくて必死だ。
「映える」写真を撮るために、料理を注文する。
「幸せそうに見える」自分を演じるために、無理をする。
そんな奴らに、剛のアニキは一喝する。
「お前の人生の観客は、他人じゃねえ! お前自身だろ!」と。
『Myself』というタイトルが示す通り、この曲は「自分自身」への回帰を歌っている。
他人がどう思うかじゃない。
自分が自分をどう思うかだ。
夕焼けが滲んで見えるかどうかは、他人には分からない。
お前にしか分からない。
誰かに「いいね」を押してもらう必要なんてない。
自分自身で、自分の生き方に「いいね」を押せるかどうか。
それだけが、俺たちが幸せになるための唯一の条件なんだ。
第5章:いつかジープを降りるその日まで
俺たちの人生という旅は、いつか終わる。
その最期の時、俺たちは何を思うだろうか?
「もっとうまく立ち回ればよかった」
「もっと金を稼げばよかった」
そんなことを思って死ぬのは、あまりにも寂しい。
きっと、剛のアニキや、この『Myself』を愛する俺たちが目指す最期は、こうだ。
「いろいろあったな。傷だらけになったし、損もした。馬鹿な生き方だったかもしれない」
「でも……俺の人生、嘘はなかったな」
そう言って、ニカっと笑って、あの世へ行きたい。
そのために、俺たちは今日という日を「真っ直ぐ」に生きるんだ。
不器用でいい。
かっこ悪くていい。
泥まみれのジープで、ガタガタ道を突き進め。
そして今日の夕方、空を見上げてみろ。
もし、視界が涙でぼやけて、夕焼けが最高に美しく見えたなら。
お前の今日の戦いは、間違いなく「勝利」だ。
俺たちには、長渕剛がついている。
そして、この『Myself』という名曲がついている。
だから、恐れずに進もうぜ。
真っ直ぐに。ただ、真っ直ぐに。
今日の長渕語録のもっとも参考となる資料
1990年、長渕剛が虚飾を捨て去り、むき出しの魂だけで勝負した伝説の名盤『JEEP』。
そのラストに鎮座するこの『Myself』は、激闘を終えた戦士だけが辿り着ける聖域(サンクチュアリ)だ。
ギターの弦が擦れる音、息遣い、その全てが「生きてる」証だ。
ここへ飛んで、震える魂を鎮めてくれ。
Apple Music 『Myself』(アルバム『JEEP』収録)
長渕剛 OFFICIAL WEBSITE – DISCOGRAPHY『JEEP』

歌詞検索サービス(歌ネット) – 『Myself』




