長渕語録
今日の長渕語録
楽曲『Captain of the Ship』より
📝のさばる悪をなんとする やめろと言われて なおやるのが俺の性分だ
1993年、巨大な「船」との死闘
おい、覚えているか? 1993年だ。
世の中がバブル崩壊の余波でざわついている中、俺たちの視線は一点、長渕剛という男に釘付けだった。
アルバム『Captain of the Ship』。
このタイトルを見た時、俺たちは直感したはずだ。
「アニキは、とんでもねえものを背負い込もうとしている」ってな。
この頃の剛は、肉体改造によって鋼のような鎧をまとい、その声は初期の繊細さをかなぐり捨て、地鳴りのような咆哮へと変わっていた。 それは、周囲の雑音や、彼を型にはめようとするメディア、そして何より、巨大になりすぎた「長渕剛」という偶像に対する、彼自身の必死の抵抗だったんだ。
この楽曲『Captain of the Ship』は、そんな彼の闘争本能が結晶化した、怪物のような曲だ。
CD音源でさえ13分超え。ライブになれば20分、時には30分近くにも及ぶ、壮絶なドラマが展開された。 俺たちはライブ会場で、彼がこの曲を歌い終え、酸欠でステージに倒れ込む姿を何度も目撃した。
あれは歌じゃねえ。命のやり取りだったんだ。
「やめろと言われて なおやる」という生き様
この曲の中盤、演奏が静まり返り、剛がマイクを握りしめ、魂の叫びを独白のように叩きつけるパートがある。
その最後に放たれるのが、この言葉だ。
「のさばる悪をなんとする」
「やめろと言われて なおやるのが俺の性分だ」
ここでの「悪」とは、法を犯す犯罪者のことじゃねえ。
俺たちの周りに蔓延する「事なかれ主義」、出る杭を打とうとする「同調圧力」、そして、夢を諦めさせようとする「常識」という名の鎖のことだ。
社会に出れば、誰もが一度は言われるだろう。
「そんな無駄なことはやめろ」
「身の程を知れ」
「大人になれ」。
賢い生き方を選べと、寄ってたかって俺たちの牙を抜こうとする。
だが、剛のアニキは吠えたんだ。
「うるせえ!」と。
誰かが敷いたレールの上を利口に歩くくらいなら、泥だらけになって脱線する方を選ぶ。
「やめろ」と言われたら、それが「やれ」という合図なんだと。
これは、単なる反抗期のガキの理屈じゃねえ。
自分自身の魂に嘘をついて生きるくらいなら、死んだほうがマシだという、表現者としての、いや、一人の男としての究極の矜持(きょうじ)なんだよ。
令和の海を彷徨う俺たちへの「羅針盤」
今、時代はどんどん窮屈になっている。
少しでもはみ出せば、ネットで袋叩きに遭い、誰もが失敗を恐れて縮こまっている。
「コンプライアンス」や「効率化」の波に溺れそうになりながら、俺たちは自分の舵(かじ)を見失っていないか?
そんな時、この言葉が、嵐の中の灯台のように俺たちを照らすんだ。
お前が今、誰にも理解されない夢を追っているなら。
理不尽な力に押し潰されそうになっているなら。
この言葉を胸に刻め。
周りの雑音なんて気にするな。
お前が正しいと信じるなら、誰に止められようが、突き進めばいい。
その傷だらけの生き様こそが、お前を、お前だけの人生の「キャプテン」にするんだ。
結び:面舵(おもかじ)いっぱいに取れ!
同志たちよ。
今日もまた、クソッタレな日常という名の荒波が待っているだろう。
だが、俺たちは一人じゃねえ。
心の中に、あの日の長渕剛を飼っておけ。
バンダナを巻き、筋肉を躍動させ、汗と唾液を撒き散らしながら叫んでいた、あの不屈の男を。
誰かに「やめろ」と言われたら、ニヤリと笑って言い返してやれ。
「あいにくだが、なおやるのが俺の性分なんでね」
さあ、面舵いっぱいに取れ!
俺たちの船は、俺たち自身の手で進めるんだ。
ヨーソロー!
今日の長渕語録のもっとも参考となる資料
この曲の真髄は、スタジオ音源ではなく、魂を削るようなライブパフォーマンスにある。
Apple Music 『Captain of the Ship 』(アルバム『Captain of the Ship』収録)
長渕剛 OFFICIAL WEBSITE – DISCOGRAPHY『Captain of the Ship』

歌詞検索サービス(歌ネット) – 『Captain of the Ship』




